2023年03月21日

令和四年度「燕市二十歳のつどい」

3月19日、燕三条地場産業振興センターで
令和四年度「燕市二十歳のつどい」を開催しました。
4年ぶりに延期することなく実施することができました。
今年の式辞のテーマは、村神様と舞いあがれ、です。
それでは全文掲載いたします。

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式 辞

本日ここに、多数のご来賓の皆様のご臨席を賜り、
令和四年度「燕市二十歳のつどい」を、
四年ぶりに予定どおり挙行できますことを、大変うれしく存じます。
民法改正により、成年年齢が二十歳から十八歳に引き下げられたことに伴い、
今回から成人式ではなく、「二十歳のつどい」として開催することとしました。
開催に当たり一生懸命準備してくださった実行委員をはじめ
関係者の皆様に厚く御礼を申し上げます。

このたび、二十歳という人生の節目を迎えられた皆さん、おめでとうございます。
皆さんの門出を心からお祝い申し上げるとともに、今日まで深い愛情を持って
皆さんの成長を支えてこられたご家族の皆様にも、敬意とお慶びを申し上げます。

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さて皆さん。私は、二十歳を迎えた若者たちがふるさと燕に集合する今日という日を、
あらためて自分の将来の夢や目標を定めるとともに、これからの社会の中で
どう行動していったらよいかを考える大切な日にしてもらいたいと願っています。

二〇二二年新語・流行語大賞で年間大賞を受賞した「村神様」でも話題となった、
東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手は、昨シーズン、
史上最年少の二十二歳で三冠王に輝きました。
「自分で自分自身に期待している。」「年齢だとか年数というのは、
プロの世界で試合に出ている以上は関係ない。」という彼の言葉に、
昨シーズンの大活躍につながった気持ちの強さが表れています。
この言葉は「プロの世界」を「社会」に置き換えてみてもよいと思います。
皆さんが今後、責任ある大人として社会に一歩踏み出せば、
年齢に関係なく大きく躍進する世界が広がっています。
それをつかみとれるか否かは、皆さんの意欲しだいです。

どうか皆さん、しっかりとした夢や目標を持って、失敗を恐れることなく、
色々なことにチャレンジしていってください。
それは皆さんの人生を充実したものにしてくれるはずです。
もちろん行く手には様々な困難が待ち受けているでしょう。
長い人生の中には、失敗したり、悩んだり、心が折れかかる時が何度もあると思います。
しかしそんな時は、思い出してください。ふるさと燕には、
愛情を注いでくれているご家族や恩師、信頼できる友がいることを。
それらの方々の存在を勇気に変え、感謝の気持ちを忘れずに、
むしろピンチをチャンスに活かす発想で前に進んで行ってください。

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皆さんは、現在放映中のNHKの朝ドラ「舞いあがれ」を知っていますか?
燕市と同じモノづくりで有名な東大阪で生まれ育ったヒロイン岩倉舞が、
夢に向かって挑戦を続けていく物語です。
幼少期に空への憧れを抱いた舞は、大学で人力飛行機と出会ったことをきっかけに
パイロットを志し、航空学校へ進学。最初は落ちこぼれでしたが努力を重ねた結果、
見事に卒業、就職先も決まりました。
しかしリーマンショックの影響で入社が一年延期になってしまいます。
同時に実家の町工場が危機的状況に陥り、心労で父親が死亡。
舞はパイロットの夢をあきらめ、母親と一緒に実家を立て直す道を選びます。    
その後も紆余曲折を経て、現在は東大阪の町工場全体を盛り上げるために
会社を立ち上げ奮闘するというドラマが進行しています。

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この舞ちゃん、夢を追いかける過程で様々な人から
助けや影響を受けながら成長していきます。
小学生の頃は、自分の気持ちを伝えることが苦手で失敗ばかり。
そんな落ち込む舞を祖母の祥子さんが励まします。
「できんことは、次、できるようになればよか。
そっでな、できんなら、できることを探せばよか」
この言葉をきっかけに、舞は少しずつ自信を取り戻し、
積極的に行動していくようになりました。
また、幼馴染の貴司くんも舞ちゃんにとって大切な存在です。
パイロットの夢をあきらめ、実家の町工場を守ろうと決意したものの、
なかなか結果が出ません。そんな時、貴司からハガキが届きます。
そこには短歌が一句。読んだ舞は元気を取り戻します。
再び前を向き始めた舞に「飛行機の部品をつくる」という新たな夢ができます。
それは亡くなった父親の夢でもありました。「小さなねじの大きな夢」
この挑戦も設備や資金に乏しい舞の工場では実現困難なものでしたが、
町工場の仲間に協力してもらうことで克服していきました。

皆さん、このようにピンチに直面しても誰かのアドバイスで乗り越えることができたり、
一人ではできないことも仲間と協力すればできることがたくさんあります。
そのためにも、普段からの絆づくりが大切です。
燕市では、県外で生活する若者のネットワーク「つばめいと」や、
市内で若者が集い活動する「燕ジョイ活動部」などを立ち上げています。
「つばめいと」は、毎年東京で交流会を開催していますが、今年は関西でも開く予定です。
皆さんからも、是非それらに参加して、ふるさと燕の仲間と交流を深めたり、
一緒に活動してもらえるとうれしいです。

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その一方で、今後は少しずつでもいいから、地域社会にも目を向けてみてください。
パイロット、実家の経営と最初は自分のことで精一杯だった舞ちゃんは、
しだいに地元・東大阪で起こっている問題に目を向けるようになっていきました。
経営不振や後継者問題に悩む町工場の社長たちとスクラムを組んでオープンファクトリーを始め、
工場と工場をつないで世の中にない新しい商品を創り出す会社を立ち上げていきます。

燕市も人口の減少、地場産業の停滞、空き家空き地の増加など様々な課題を抱えています。
私は、皆さんが燕市に生まれ育ったことを誇りに思えるような
『日本一輝いているまち』を目指していますが、
これらの課題を乗り越えていくためには、皆さんのような若者の力が必要です。
世代を超えて燕市に生まれ育った仲間同士がスクラムを組んで、
日本一輝いているまちをつくっていくことができたら、
こんなに素晴らしいことはありません。
私は、皆さんがそれぞれ自分の夢や希望に向かって歩んでいくとともに、
燕市、新潟県、日本の未来を切り拓く推進役として、
様々な分野で活躍してくれることを大いに期待しています。
どうぞ頑張ってください。

最後に、人生の岐路に立つ舞ちゃんに元気を与えてくれた
貴司くんからのハガキに書いてあった短歌を、
二十歳になった皆さんに私からのエールとして贈り、
式辞の結びといたします。

「君がゆく 新たな道を照らすよう 千億の星に 頼んでおいた」

令和五年三月十九日
燕市長 鈴木 力
posted by 鈴木力 at 07:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする